東京高等裁判所 昭和62年(う)1613号 判決 1988年11月17日
《本籍・住居省略》
無職 中江滋樹
昭和二九年一月三一日生
<ほか二名>
右の者らに対する詐欺被告事件について、昭和六二年九月八日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから各控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官風祭光出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決中被告人中江及び被告人加藤に関する部分を破棄する。
被告人中江を懲役六年に、被告人加藤を懲役三年に処する。
原審における未決勾留日数中、被告人中江に対し四五〇日を、被告人加藤に対し三九〇日を右各刑に算入する。
原審における訴訟費用中、証人江堀芳行、同関利夫(二回)、同上田久、同齋藤正治、同青木茂、同林兼吉、同河野常雄、同葛飾勝利(第二一回、第二三回各公判期日関係分)及び同足立克郎(二回)に支給した分の五分の二、証人河本定利、同飯岡良昭、同小谷昇一、同金田昌二、同清川広行、同金崎眞吾及び同川西一雄に支給した分の四分の二、証人大木克己、同中田良一、同大田善夫、同田村一也及び同大石竹男に支給した分の三分の二、並びに証人小田次郎に支給した分の六分の二を被告人中江及び被告人加藤の各連帯負担とする。
被告人大田の控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、被告人中江滋樹について、弁護士天野武一、同細野良久、同中村悳、同山口博、同槇枝一臣連名提出の控訴趣意書及び右各弁護人のほか、弁護人下平坦、同高橋一嘉連名提出の控訴趣意補充書に、被告人加藤について、弁護人細野良久、同山口博、同槇枝一臣、同下平坦、同高橋一嘉連名提出の控訴趣意書に、被告人大田豊蔵について、弁護人杉政静夫提出の控訴趣意書及び控訴趣意一部訂正書に、これに対する答弁は、検察官提出の各被告人についての答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
被告人大田に関する控訴趣意中事実誤認の主張について
所論は、要するに、原判決は、被告人大田が株式の分譲において、投資ジャーナルグループがその株式を保有するかどうかに関係なくこれを行っていたことを知っていた旨を認定しているが、同被告人はそのような事実を知らないでいたものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、原判決は、被告人大田関係の原判示各事実において、投資ジャーナルグループ傘下の株式会社東京クレジット(以下「東クレ」という。)の責任者であった被告人大田が、株式会社投資ジャーナル(以下「投資ジャーナル」という。)及びその関連会社からなる投資ジャーナルグループを主宰する被告人中江、投資ジャーナルの代表取締役等として被告人中江を補佐する被告人加藤らと共謀のうえ、被害者らに対し、株式買付資金を融資する意思や能力、株式の売買を証券会社に取り次ぐ意思等がないほか、譲渡すべき株式を保有している事実も株式を譲渡する意思もないのに、これらがあるように装い、虚言を申し向けて、被害者らから現金、小切手、株券等を騙取した旨認定し、「弁護人の主張に対する判断」において、被告人大田が、「一〇倍融資については被害者らの注文を取り次いでいないことを、また、分譲についてはその株券を投資ジャーナルが保有するかどうかに関係なく行われていることを、それぞれ十分認識しながら」、各犯行に及んだ旨の証拠説明を加えているところ、これらの事実は、所論の点を含め、関係証拠に照らして優に肯認できる。
更に、所論の点について検討すると、関係証拠によれば、
1 被告人大田は、捜査段階において、株式の分譲について、投資ジャーナルグループには分譲すべき株式も、株式分譲の意思もなかった旨、理由を付したうえ、繰り返し供述していること、
2 本件各犯行は、昭和五八年三月末ころから昭和五九年六月中旬ころにかけて実行されたものであるところ、株式の分譲は、遅くともその数箇月前から始められていたこと、
3 株式の分譲に際しては、投資ジャーナルの営業係員が顧客に対し、「投資ジャーナルが安いときに仕込んだ株を仕込値で分けてあげます。株を保管させている東クレに代金を送って下さい。」などと言って誘いかけ、顧客から東クレに問い合わせがあると、被告人大田らの係員が投資ジャーナルの係員と口裏を合わせた応答をしていたが、東クレがそのような株を投資ジャーナルから預かっていた事実は全くなく、被告人大田もこのことを十分知っていたこと、
などが認められるうえ、
4 原判決は、「弁護人の主張に対する判断」において、「被告人大田は、投資ジャーナルから送付されてくる顧客紹介票を見ることにより、投資ジャーナルがその時点での株価より一割も安い株価で株式を顧客に譲渡し、しかも、譲渡される株式の銘柄が多岐にわたるとともに、一人の顧客に大量に、中には繰り返し行われていたことを承知していたこと、一〇倍融資については、顧客の注文はすべてのんでおり、被告人大田においても、このことは十分認識していたこと」などを指摘しているところ、所論は右事実を争っておらず、証拠上もこれを認めることができること、
5 原判決は、右判断の項において、「一人の顧客に大量の株式を時価よりも一割も安い株価で譲渡することについて、合理的な理由がないこと」をも指摘しているところ、所論は、そのような株式の譲渡も一般の値引き販売と同様顧客獲得のためのものとして理解できるというが、投資ジャーナルグループで行われていた株式の分譲は、一人の顧客に対し一時に大量に行われていただけでなく、時期を限らず継続的に、多数の者に対し繰り返し行われていたものであって、顧客を誘因して資金を提供させるための名目だけのものにすぎなかったとしか考えられないこと、
などの事情があり、これらを総合すれば、被告人大田は、本件各犯行当時、投資ジャーナルグループが顧客に分譲すべき株式を保有していないことを十分認識していたと認定することができる。
被告人大田は、原審公判において、株式の分譲が投資ジャーナルグループの保有株に関係なく行われているのを知ったのは、昭和五九年五月ころ以降であって、それ以前は分譲する株式があるものと思っていた旨供述しているが、その供述は、内容自体があいまいで、かつ根拠に乏しいものであり、前記の諸事情に照らしても、措信の限りではない。
したがって、原判決の事実の認定に所論のような誤認のかどはなく、論旨は理由がない。
被告人中江及び被告人加藤の各控訴趣意中法令適用の誤りの主張について
各所論は、原判決は被告人らの本件各所為を併合罪として処断しているが、これらは包括一罪の関係にあると解されるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というのである。
そこで、前同様検討すると、原判決は、被告人らの行為を被害者ごとに行為態様と結果とに関連付けて区分し、合計一一三個の罪を認定したうえ、そのうち四個の罪が二個の科刑上一罪(観念的競合)の関係にあるとして、結局一一一個の罪を併合罪として処断していることが明らかであるところ、原判決の右判断は正当として是認することができる。
すなわち、罪数は、原則として行為が犯罪構成要件を充足するごとに一個と解すべきであるところ、具体的場合において、犯罪構成要件を数回充足する行為を包括して一罪と評価するのを相当とすることもあるが、詐欺罪のような個人の財産を保護法益とする罪にあっては、共同の財産を対象としたような場合を除き、被害者の数と、構成要件を充足する行為及び結果が社会通念上同一と目されるか否かを基準にして決するのが相当であって、この観点からすると、原判決のした罪数区分に誤りとすべきところは見当たらない。なるほど、被告人らの本件各犯行は、投資ジャーナルグループに属する被告人らが資金集めのため相協力しつつ、同グループの営業行為として継続的に実行したものと認められるが、このような状況を考慮に入れても、本件の全犯行を包括して一罪と評価するのは相当ではない。
したがって、原判決には所論のような法令の解釈適用の誤りはなく、論旨はいずれも理由がない。
被告人三名に関する各控訴趣意中量刑不当の主張について
原判決は、被告人中江を懲役八年(未決勾留日数四五〇日算入)に、被告人加藤を懲役四年(未決勾留日数三九〇日算入)に、被告人大田を懲役二年一〇月(未決勾留日数一四〇日算入)、四年間執行猶予にそれぞれ処しているところ、各所論は、右量刑が重過すぎて不当である、というのである。
そこで、前同様検討すると、本件犯行及び被告人らをめぐっては、次のような諸事情を認めることができる。
一 本件は、原判示のとおり、投資ジャーナルグループに属する被告人らが他の同グループの者らと共謀のうえ、昭和五八年三月末ころから昭和五九年八月中旬ころまでの間、前後一一三回にわたり(うち四回は二個の科刑上一罪の関係にある。)、被害者三三名(うち三名は会社の代表者であり、うち二名は他の二名とともに共同で被害を受けている。)に対し、株式買付資金を融資する意思や能力も、注文を証券会社に取り次ぐ意思もなく、また、被害者らに譲渡すべき株式や株式を譲渡する意思もないのに、これらがあるように装いつつ、言葉巧みに虚言を告げ、被害者らをその旨誤信させて、被害者らから株式買付資金、同資金の融資保証金等の名義で、総額一八億二九七八万四三八〇円に上る現金、小切手、株券等(被告人大田については、同年六月上旬ころまでの間前後五四回にわたり、被害者一四名から一二億四六九一万六一〇八円の現金、小切手、株券等)の交付を受けて、これを騙取したという事案であるところ、被告人らは、種々の現代的な宣伝媒体を用い、あるいは人づてに、株式投資に興味を持つ一般投資家に働きかけ、専門的知識を活用してその利得欲を刺激し、株式投資に藉口して広範囲の投資家から金員等を騙取したものであること、その手口は、投資ジャーナルの営業係が、手持ち資金を担保に一〇倍まで融資してその融資金で株式を買い付けるといういわゆる一〇倍融資とか、既に買い入れてある株を時価より一割程度も安く譲るといういわゆる分譲とか、全く実行するつもりのない虚構の方法で、投資客を勧誘し、更に、投資ジャーナルの営業係から連絡を受けた東クレ等の証券金融会社の係員が口裏を合わせて、融資を実行して株式の買い付けを証券会社に取り次いだり、投資ジャーナルから預かっている株式を時価より安く譲るなどと話し、投資客がこれに応じて資金を提供してくるや、株式の売買などしていないのに、実際に取引があったかのようにコンピュータ処理した売買報告書を送付するという、まことに組織的でかつ巧妙を極めたものであったこと、このようにして得た資金の額は数百億円という極めて膨大なものであって、これが被告人中江の相場観によって株式売買に使われ、あるいは投資ジャーナルグループの関連事業の資金、従業員の給料等に当てられ、右のうち百数十億円は返戻されるに至っていないところ、本件はその一環であって、起訴にかかる取得分だけでも前記のように十数億円という巨額に達していること、本件被害者のうちには、長年にわたり営々として蓄積した生活資金、経営する会社の資金、他からの借入金等を投入したため、自己や家族の生活に支障や不安を生じたり、家庭内に深刻な紛争を巻き起こしたり、あるいは、借入金等の返済の重荷を負うなどしている者も現れていること、本件の発生は、一般大衆の参加により健全な発展を期している証券業界に対し、軽視し難い有形無形の悪影響をもたらしていることなどが認められる。更に、所論にかんがみ被告人ごとに問題点を検討する。
二 被告人中江について
1 被告人中江は、投資ジャーナルグループを組織し、終始その頂点にあってこれを率いていたもので、自ら本件のような詐欺的手段による営業を行うことを決定し、営業係にノルマを課しその必達を過酷なまでに要求したうえ、顧客から入金された資金を自己の思惑により株式売買、関連会社への投資等に使用し、あまつさえ、顧客への出金を制限し始めた昭和五九年三月以降においても、確たる見通しのない新規事業に数億円を投じたり、同年八月中旬警察官による捜索が予想されると、顧客、従業員等に対する責任を放てきして、被告人加藤とともに、八箇月余にわたり妻ら女性を同伴して海外に逃走し、少なからざる費用を費消するとともに、逃走先から、貴重な億単位の残存資金の使途を指図していることなども認められ、被告人中江は疑いもなく本件犯行の主犯であって、かつ、その刑事責任は他の共犯者に比べて格段に重いということができる。
2 所論は、被告人中江が東証信用代行株式会社(以下「東証信」という。)の開業を決意した動機は、同被告人が原審公判で供述するとおり、投資顧問の矛盾に突き当たり、これを解決するため、推奨株を事前に値上がりしないように大量に買い付けておき、自己の経営する証券金融会社の一〇倍融資を利用させながら、右推奨株を順次顧客に売り渡して行く分譲を考えたからであって、開業の当初において、既に分譲を予定する一方、顧客の注文を証券会社に取り次がずにのんでしまう意図などはなく、原判決の事実認定にはこの点で事実の誤認があるという。
しかし、一〇倍融資の点については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」第四・一・2で説示する諸事情は関係証拠によって肯認でき、これに加えて、被告人中江は、早くから投資顧問業のかたわら自ら相場師として手広く株式の売買を行い、殊に関東電化株に注目して買い進んでいたところ、昭和五四年二、三月ころ同社株の暴落により痛手を受けたうえ、昭和五六年九月ころまたも同社株が暴落して、部下共々大きな損害をこうむり、東証信の開業当時はまだその影響から回復できずにいたとうかがわれること、証券金融を主たる営業目的とする東証信が金利の逆ざやになるような金融を業として常時行うなどということは、企業としてありうべからざることであり、そのような営業をする東証信に、事情を知りながら資金を融通してくれる親金融があるとは思われないし、仮に親金融が資金の融通に応じたとしても、東証信には親金融が要求するような担保を提供することが可能であったとは思われないこと、その他被告人中江及び同被告人から開業準備を指示された被告人加藤、渋谷邦雄(原審共同被告人)らの捜査段階における各供述(所論中には、被告人ら及び原審共同被告人らの捜査官に対する各供述調書は任意性及び信用性に欠ける旨を主張するところがあるが、そのような疑いを差しはさむに足りる証跡は見当たらない。)等を考え合わせると、被告人中江には当初から、顧客に対し実際に貸付を行ってその注文を証券会社に取り次ぐつもりなどはなかったものと認められる。
また、分譲の点については、原判決が前記第四・一・3で説示する諸事情のほか、更に、たとえ計画的に値上がり前に買い付けたものであっても、自己においても株式の売買取引を行っている会社が、営業として継続的に、時価よりも安値で大量に株式を売り渡していくなどということは、極めて不合理であること、東証信において、自社の保有株とこれから分譲された株とを相互に明確に区分して、その管理を行う態勢がとられたことは終始全くなかったこと、原審証人荒川辰男の供述及び被告人中江(昭和六〇年六月三〇日付)、被告人加藤(同月二八日付)、目黒義平(同日付)の検察官に対する各供述調書等には、昭和五七年九月末ころの班長会議で、新川克巳が「値上がり中の株を二、三日前の値段で分けてやるといえば、客が集まるのではないか。」などと発言すると、被告人中江がこれに感心した態度を示し、まもなく分譲が始められるようになった旨が印象的に述べられていること、その他被告人中江の捜査段階における分譲関係の供述状況等に照らすと、東証信開業時に被告人中江が保有株の分譲を考えていたことなどはなく、分譲は昭和五七年一〇月ころから本格的に行われるようになったものと認めることができる。
したがって、被告人中江は、一〇倍融資を名目にして、自己の行う株式の取引資金等を集める目的で、東証信を開業し、その後更に同様目的で分譲を始めたものと認められ、この点の原判決の事実認定に誤認とすべきところはない。
3 所論は、原判決は、投資ジャーナルグループの経理状態について、東証信開業当時、余裕などなく、経費の支払い等が窮屈なかなりひっ迫した状況にあり、また、東証信開業後昭和五九年八月までの間も、余裕がなく、顧客からの入金と出金との均衡が崩れると直ちに顧客への返済が困難となる、自転車操業に近い状況にあったと認められるとしているが、これは経理資料の証拠評価を誤って事実を誤認したものであるという。
しかし、弁護人ら作成の控訴趣意補充書添付の「担保差入有価証券集計表」及び「保有株等評価額集計表」に従ってみても(右各表の基礎となる「証券金融業者への担保差入残株数」及び「同残株評価額」の計算について、読み取りミス、計上ミス、除外もれ等があったことにより、その集計結果に誤差が生じている可能性を否定できない。)、証券金融業者からの借入残額の担保差入残株評価額に対する割合は、昭和五七年七月約七五・八七パーセント、同年八月約七二・八七パーセント、同年九月約七六・二九パーセント、同年一〇月約七三・三八パーセントであって、同年八月のそれは他の月を若干下回る程度であることや、右集計結果中の同年四月から八月までの手持・持出株の累計が約三億六〇〇〇万円にとどまることなどをみても、被告人中江が原審公判で供述するように、東証信開業当時同被告人において五億円を超える手持株を有していたとは断ずることができず、これに加えて、原判決が前記第四・二・3・(一)・(3)で説示する諸事情、殊に、渋谷の作った昭和五七年三月の資金繰表の支払予定一三九〇万円が、被告人中江により削りに削られて、九九六万円とされたこと(被告人中江の検察官に対する昭和六〇年七月二〇日付供述調書、渋谷の原審第二七回公判における供述及び検察官に対する同月六日付供述調書)、更に、昭和五七年四月三日現在において、直ちに支払うべき負債が合計約三九〇〇万円もあったこと(被告人中江及び渋谷の検察官に対する右各供述調書)、昭和五六年九月ころの関東電化株の暴落の影響が残っていたとうかがわれること、所論は、反論として、被告人中江やその妻K子名義の普通預金口座に預金のあった事実を指摘しているが、これらの預金は、その金額の程度や右未払金の存在、被告人中江の株式取引状況、その家族の生活等を考慮すると、投資ジャーナルグループの資金繰りに余裕があったことを示すほどのものとは思われないことなどからすれば、東証信開業当時投資ジャーナルグループの経理は、原判示のとおり、経費の支払い等が窮屈なかなりひっ迫した状況にあって、被告人中江はその株式取引資金に窮していたと認めることができる。
また、その後昭和五九年八月までについては、前記控訴趣意補充書添付の「資産修正集計表」に従ってみても(同表については、前記二表に基づく「修正後の金融業者差入有価証券」の正確性に疑問が残るほか、「検察官が看過した保有株」及び「現資産としての貸付金累計額」の資産への加算の是非にも疑問がある。)、その集計結果を司法警察員作成の昭和六〇年八月二〇日付経理解明捜査報告書中の要返戻額と対比すると、資産集計の出ている昭和五八年三月以降は毎月、要返戻額が資産額を相当大幅に上回っていることが明らかであること(所論は、右要返戻額が成功報酬を控除していないことなどのため不正確である旨をいうが、成功報酬は、現実には行われていない顧客の株式取引の利益の一部であって、全く計算上の存在にすぎないものであるから、客観的であるべき要返戻額の算出にあたってこれを考慮するのは相当でなく、その他右要返戻額の算定が大きく誤っているとすべき格別の根拠はない。)、分譲が始まると、顧客からの注文を受け易い分譲が営業の中心となって行ったため、注文を受けた時点で既に、一割程度もの損が生ずることになったこと、被告人中江は、部下等に対し大様に金を渡したり、派手に飲食遊興をしたり、確たる見込みのない新規事業に多額の投資をするなど、資金を乱費していたことなどが認められ、これに加えて、原判決が前記第四・二・3・(二)・(3)で説示している諸事情、とりわけ、昭和五九年三月初め以降顧客からの出金要求が強まると、たちまち資金繰りに行き詰まったこと、所論の指摘する株式会社三和カードサービスからの社員一八名の名義による合計五四〇〇万円の借入は、サラリーマン相手に無担保で融資をするものをいわゆるサラ金というのであれば、所論にもかかわらずサラ金からの借入ということができるうえ、借入先がどこであれ、右のような借入をすること自体が資金不足を如実に示すものであることなどからすると、東証信開業後も投資ジャーナルグループは、原判示のとおり、常に顧客からの入金を当てにした自転車操業に近い経理状態にあり、昭和五八年初めころからは、事態が一段と悪化して行ったものと認められる。
なお、所論中には、原審第四九回公判において、弁護人が裁判長のした証拠調べ終了の訴訟指揮に対し異議の申立をし、原審がこれを棄却する決定をしたことについて、右訴訟指揮は、弁護人らに対し、その直前に検察官から証拠調べ請求のあった膨大な経理資料を検討する暇を与えないものであるから、異議は認容されるべきであって、原審の右決定は違法である旨をいうところがある。しかし、同公判及びその前回の第四八回公判における各証拠調べの経過や内容、その後の弁論の終結、判決宣告等の進行予定などにかんがみると、裁判長の右訴訟指揮について、当不当の問題はあるにしても、これに法令の違反があるとすべき理由はないから、原審のした異議棄却決定を違法ということはできない。
4 所論は、原判決が被告人中江らに精算の意思及び能力がなかったとする認定について、これが誤認であるかのようにいう。
しかし、東証信の開業の前後を問わず、投資ジャーナルグループの経理状態がよくなく、本件犯行当時顧客の精算請求に確実に応じられる状態になかったことは、既に述べたとおりであり、また、原判決が前記第四・三・2で説示するように、投資ジャーナルグループ内には、精算に応じられるか否かが客観的に判断できるような資料、態勢等は用意されておらず、被告人中江らが頼りにしていたのは、専ら同被告人がその相場観によって株式取引を行えば利益が上げられるであろうという期待のみであったと認められるから、同被告人らに顧客に対し確実に精算する意思及び能力があったということはできない。所論中には、投資ジャーナルグループの営業規模が急激に拡大したため、同グループと顧客の取引状態とを正確に把握する態勢の整備が遅れた旨をいうところがあるが、被告人中江らがそのような態勢を真摯に作ろうとしていたとは認め難い。
5 所論は、原判決がした被告人中江に対する未決勾留日数の刑への算入が少な過ぎて不当であるという。
しかし、被告人中江について、原判決の刑に算入可能な未決勾留日数は、昭和六〇年六月二一日から昭和六二年九月七日までの八〇九日であるところ、原判決はそのうち四五〇日を刑に算入するにとどめているが、検察官の公訴提起が昭和六〇年七月一〇日から同年九月三〇日まで六回にわたって行われていること、公判が昭和六〇年一〇月二一日の第一回から昭和六二年九月八日の判決宣告まで前後三七回にわたって開かれていること(他に、分離されていた共同被告人らのためのみの公判がある。)、被告人中江の応訴状況、証拠調べの内容や程度等の審理の経過を考慮すると、原判決の同被告人に対する未決勾留日数の刑への算入が不当に少ないとはいえない。
三 被告人加藤について
1 所論は、投資ジャーナルでは、被告人中江が営業方針その他を独断で決定しており、被告人加藤の地位は他の従業員と質的な差異がなく、同被告人が投資ジャーナルの代表取締役となっていたのは、単に名前を貸した名目的なものにすぎないなどという。
しかし、被告人加藤は、大学在学中の昭和四九年ころ、まだ独立していない時期の被告人中江を知り、同被告人の株式取引に対する情熱に引かれて、同被告人に兄事するようになり、昭和五一年春ころ京都市内において、同被告人がツーバイツーの名で投資顧問業を始めると、まずアルバイトとして手伝い、昭和五二年三月大学卒業後直ちに、株式会社となっていたツーバイツーに正社員として入社し、以後本件まで引き続き同被告人のもとで証券取引関係の仕事に従事したこと、被告人中江は、昭和五三年一〇月ころ東京に進出し、投資ジャーナルを設立して投資雑誌の出版、販売を始め、まもなく投資顧問の営業にも手を着け、昭和五五年夏ころにかけて、東京と関西との間を往復するようになると、自己のいない側の営業責任者を被告人加藤に担当させたこと、被告人加藤は、昭和五六年七月投資ジャーナルの代表取締役に就任し、対外面において投資ジャーナルの代表者として行動するとともに、内部でも、「社長」と呼ばれ、被告人中江を必要に応じて補佐し、同被告人が長期にわたって休んだときには、同被告人に代わり従業員を監督して営業を遂行したこと、被告人中江は、東証信を設立して証券金融への進出を企てた際、まず被告人加藤と渋谷に対し開業の準備に当たらせたうえ、被告人加藤を東証信の営業全般の責任者としたこと、被告人中江は、昭和五九年八月中旬警察官による捜索が予想される事態になると、被告人加藤に指示して、同被告人と二人で海外に身を隠したことなどが認められ、これらの諸事情からすると、被告人加藤は、投資ジャーナルグループにおいて被告人中江に次ぐ地位にあったものであり、同グループの他の関連会社の名目的な代表取締役とは異なり、投資ジャーナルの代表取締役として、対外的にそのように行動するとともに、社内においても、被告人中江を補佐し、いつでも同被告人に代わって業務全般を統轄する立場にあることを自他ともに認めていたものであるということができる。
2 所論は、本件犯行において被告人加藤が果たした役割は、他の投資ジャーナルの幹部社員と比べてさほど差異のないものであったという。
しかし、被告人加藤は、東証信の開業にあたり、渋谷とともに、被告人中江から真っ先にその旨を告げられて、準備にかかり、パンフレットの作成に当たったり、Oリサーチオフィスを営む広田忠則に会って、同人のしている一〇倍融資の話を聞いたり、Oリサーチオフィスの事務所に行って営業状況を見せてもらうなどし、その過程で、広田から、「顧客の注文は証券会社に取り次がずにのんでしまっているが、約諾書中に相対売買条項があるから、紛争が起きても言い逃れができる。」旨の説明を受けたうえ、被告人中江から、東証信でも同様の営業方法を採ると言われ、これにそって準備を進め、東証信の発足後は終始その営業全般の責任者の地位にあったこと、被告人加藤は、日頃投資ジャーナルグループの会議等に、投資ジャーナルの代表取締役及び東証信の営業責任者として列席していたほか、昭和五八年七月末から同年八月末まで被告人中江が病気療養をしていた際や、昭和五九年三月初めから同年六月初めまで同被告人が出社を取り止めていた際には、投資ジャーナルグループを統括し、朝礼等の礼会、班長会議等の各種の会議にその主宰者として出席し、営業成績の向上を指図し、更に、右の昭和五九年三月初めから同年六月初めにかけては、顧客からの精算の請求に対処するため、いわゆる出金会議を主宰し、出金の調整に当たっていること(被告人加藤の検察官に対する昭和六〇年七月一日付、同月二日付、品川利郎の検察官に対する同月二三日付、被告人大田の検察官に対する同月七日付各供述調書等)などからすると、本件犯行における被告人加藤の役割は、実質的にも被告人中江に次ぐものであり、投資ジャーナルグループの他の幹部社員に比して重かつ大であったと認めることができる。
3 所論にもかかわらず、被告人加藤が前記のように海外に逃亡したことは、被告人中江の指示に基づくものではあっても、顧客、従業員等に対し甚だしく無責任かつ背信的な行為であったといわざるをえず、また、被告人加藤が東証信の開業以後に得た報酬その他の利得の額は、八〇〇〇万円余から、計算方法のいかんによっては一億二〇〇〇万円余にも及ぶものとみられ(被告人加藤の検察官に対する昭和六〇年七月一四日付供述調書)、幹部社員のうちの最高額となることが認められる。
4 所論は、原判決がした被告人加藤に対する未決勾留日数の刑への算入が少な過ぎて不当であるという。
しかし、被告人加藤について、原判決の刑に算入可能な未決勾留日数は、昭和六〇年六月二一日から昭和六二年六月三〇日までの七四〇日であるところ、原判決はそのうち三九〇日を刑に算入するにとどめているが、検察官の公訴提起や公判の進行状況が被告人中江の項で述べたとおりであること、被告人加藤の応訴状況、証拠調べの内容、程度等の審理の経過を考慮すると、原判決の同被告人に対する未決勾留日数の刑への算入が不当に少ないとはいえない。
四 被告人大田について
1 被告人大田は、高校卒業後二〇数年間大蔵省に勤めていたが、その後は職を転々とし、昭和五七年九月末飲食店の裏方をしていたとき、被告人中江に見出されて、東クレの営業全般の責任者として雇われ、当初から、投資ジャーナルグループの一〇倍融資とか分譲とかの詐欺手段を使った取引に加わっていたものである。
2 所論は、営業はすべて投資ジャーナルで行い、東クレでは、投資ジャーナルの指示に基づいて、顧客からの注文を受け、その事務処理を行っていたにすぎず、被告人大田の犯行への関与の程度は低いという。
なるほど、東クレでは、独自の営業活動をしておらず、顧客はいずれも投資ジャーナルで注文を取った者らではあるが、その入金先は東クレとなっており、顧客の多くは、自己のした投資が間違いのないものであることを確認するため、取引の都度、東クレに電話を入れたり、入金すべき現金、小切手、株券等を届けがてら直接東クレの事務所を訪れるなどしてきていたところ、被告人大田は、これらの顧客に対し、自らあるいは部下を介し、少しの不安も感じさせないよう巧みに応対していたことが認められ、本件犯行に対する被告人大田の関与は組織的に不可欠であるとともに、その関与の程度も軽視することを許さないものであったというべきである。
3 被告人大田がかつて大蔵省に勤務していたことは、所論にもかかわらず、同被告人が投資ジャーナルグループに採用される一事情となっているうえ、投資ジャーナルの営業係が顧客に対し、「東クレは、大蔵省出身の者が責任者をしている堅実な会社です。」と話すなど、犯行に利用され、被告人大田もこれを容認していたとうかがわれる。
4 被告人大田の得ていた報酬月額が、東証信の営業責任者であった品川利郎や日本証券流通株式会社の営業責任者であった板橋春助のそれより低額であったことは、所論のとおりであるが(もっとも、品川については、東証信が顧客を勧誘する営業もしていたため、その報償金が加算されていた。)、被告人大田は、昭和五九年六月一九日ころ投資ジャーナルグループに見切りをつけ、被告人中江に退職を申し出て、同被告人から退職金として四七〇万円を受領しており、これを加算すれば、被告人大田の月収額も品川らとさほど差のないものとなるうえ、被告人大田が退職金を受領した当時、投資ジャーナルグループは相次ぐ顧客の精算請求に応じかねており、そのことは同被告人の知るところでもあったことや、同被告人が約二箇月後の同グループの破局の時まで在職していれば、退職金を貰うことなどはできなかったことに徴すると、同被告人が右のような退職金を受領したことはやはり看過できない事情といわざるをえない。
五 しかしながら、原判決が説示するような被告人らに有利な情状があるのに加えて、投資ジャーナルグループの破綻前に本件被害のうち約四億八七五八万円分(被告人大田関係では約四億五六〇六万円分)が被害者らに返還されていたが、原審係属中原審共同被告人らが若干の被害弁償をしたほか、更に当審係属中、被告人中江が他から借用した金員によって、被害者三三名全員(もっとも、うち二名は死亡し、その関係では相続人)に対し、それぞれ七〇万円ないし三五〇万円、合計六六三〇万円(被告人大田関係では三四五〇万円)を支払い、結局被害総額の三割強(被告人大田関係では三割九分強)が回復されるに至っており、当審係属中に被害弁償を受けた者らはいずれも示談書の作成に応じ、そのほとんどが被告人中江及び被告人加藤を宥恕する旨の意を表わし、同被告人らに対する寛大な処分を希望していること、被告人中江は、当審において初めて保釈されたが、被害弁償に努力するほか、父親方で謹慎した生活をしていること、被告人加藤は、長兄の運送業を手伝いながら、兄弟の援助の下に再起を期していること、その他被告人らの経歴、家庭の状況、反省の態度等、被告人らのため酌むべき情状も少なくはない。
六 以上のような諸事情を総合して考えるとき、被告人大田については、前記のように執行猶予付きの刑を科した原判決の量刑を重過ぎるということはできないが、被告人中江及び被告人加藤については、原判決の段階においてはともかく、現段階においてはいずれも刑期の点で重過ぎ、原判決の量刑をそのまま維持するのは相当でないと思料される。
よって、被告人大田については刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、被告人中江及び被告人加藤については、刑訴法三九七条二項により原判決中右被告人両名に関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。
原判決が適法に認定した罪となるべき事実につき、原判決と同法の法令を適用し、同様の科刑上一罪の処理、併合罪の加重をした刑期の範囲内で、被告人中江を懲役六年に、被告人加藤を懲役三年に処し、刑法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中、被告人中江に対し四五〇日を、被告人加藤に対し三九〇日を右各刑に算入し、原審における訴訟費用のうち主文掲記のものは、刑訴法一八一条一項本文、一八二条によりこれを右被告人両名に連帯して負担させることとする。
以上の理由によって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 横田安弘 裁判官 井上廣道)